ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。(原田まりる著)~「人生を危険にさらすのだ!」の章~

“「人生はいつかは終わってしまうが、いつ終わってしまうかは明らかでない。いつ終わるかが明かされてしまっては、また人生の意味が変わってきてしまう。そういう不透明な時間を私たちは生きているのだから」”
”「時間が無限にあるのならば、いま私たちが経験したことと同じケースが再び起こりえる、繰り返される可能性がある(永劫回帰)。」”
”「いまもし、辛いことを乗り越えたとしても、また苦しみや悲しみは襲ってくる。また同じことの繰り返しだ」
「何度も挫折を繰り返すと、心が折れたり、はたまた心が腐ったりするものだ。どうせ無駄、という気持ちに心が蝕まれてしまうものだ」
「最終的に『永劫回帰を受け入れる』ことで道は開けるのではないかと考える。これを『運命愛』と呼んでいる」
「辛いことや嫌なことがあっても、『しかたなくこんな状況に置かれている、自分はかわいそうなやつだ』と思わないことだ。辛いことがあったり、過酷な状況に置かれても『これは私が欲したことだ』と思ってみることだ」
「過去に起こった辛いことに縛られて、自分の人生を無気力にやり過ごすことは簡単にできるが、辛い経験と供に、感じられる喜びもあり、それこそ『自分の人生』そのものだと」”
”人生に理想を掲げればきりがない。恵まれた生き方だけを理想とすることは、自分の運命の否定にも繋がる。否定的な感情に支配されてしまうのだ」
「理想どおりではないからと、自分の人生を否定してしまっては何も前に進まないのかもしれない。どれだけ周りを羨ましく思おうと、どれだけ不満を抱こうと、私は私の運命を受け入れ、生き抜くしかないのだ。」
”「いまの自分が置かれた環境からしか、見えてこないこともあるかもしれない」”
”「傷ついても、報われなくても、負けてしまっても、辛いことが続き、たとえそれが繰り返されようとも、力強く、快活に生きるのだ。『人生は無意味だから、どうでもいいや』ではなく『人生は無意味だから、自由に生きてやれ!』と積極的なニヒリストとして生きていけばいいのだ。」”
”「人の目を気にして怯えるのではなく、積極的に自分と隠れて生きる必要はなく『人生を危険にさらすのだ!』。怯えるのではなく、自分を否定することなく、何事も挑戦し戦い抜くことで、喜びは掴めるのだ!」”
●「人生を危険にさらすのだ!」(ニーチェ)の章より

自分の置かれた環境、状況の中で工夫をして最善を尽くす。
まわりを羨ましく思わない。羨ましく思う環境にいる人にもその環境に応じた悩みなどあるはず。
羨ましく思うことは、うまくいかなかった時の言い訳にもつながってしまう。

難題が現れその難題をクリアしても、また次の難題が現れる(繰り返される)。
どうぜ次々と現れるのなら、その都度ビクビクすることなく、「ああまた来ましたね」と淡々と取り組めるような感情を持ち合わせられるようになりたい。

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