ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。(原田まりる著)~「祝福できないならば呪うことを学べ」の章~


“「みんなが、受け入れている条件だから、おかしくないんだ」とみんなと同じこと=よいことだと思いこむと、間違ったものであっても、よいと思いこんでしまうことはあるだろう。
 習慣的に周囲に合わせていると、自分で考える能力を徐々に衰えさせてしまうことにも繋がるのだ。「すべての習慣は、我々の手先を起用にし、我々の才知を不器用にする」”
”「あからさまな負け惜しみでなくても、欲しかったものが手に入らなかった時、手に入りそうにない時、『あーやっぱ全然欲しくないわ』と自分に言い聞かせることを、合理化という」。
 「手に入れたくても出来ないものを、欲しくないと言いはったり、欲しかったものの価値を、低く見たりするものだ、あえてな」”
”苛酷な現実に押しつぶされないために、傷つかないために、自分に「これでよい、お金が手に入らなくても、出世できなくても、これでいいんだ」と言い聞かせているのだ。「これがいい!」ではなく、「これでいいんだ」と自分に言い聞かせているようなものだな。
”「『自己中な自分』を否定したくなるという気持ちの根底には、『自己中でいるのは悪いことだ』という先入観があるのだ。少々過激な言い方をすると、他人から植え付けられた道徳に洗脳されているともいえるだろう。道徳は正しい!という前提すら疑ってみるのだ。
 ただおとなしく従うのではなく、自分自身で考えてみる。疑い、時にあらがってみる。道徳に支配されて、生きる意欲を失速させてしまっては、意味がないからな。(略)他人から言われたことを鵜呑みにするのではなく、一度疑うことで自分なりに考え直してみることが重要だ」”
”「自分を偽ってまでお前は何になりたいんだ?」”
●「祝福できないならば呪うことを学べ(ニーチェ)」の章より

自分の考えを持つ。人に合わせたり、流されるのではなく。
様々な事象について、自分自身で考えてみる。疑ってみる。
自分がどうなりたいか、どうありたいか、目的意識を持って取り組む。

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