罪の声(塩田武士 著)

“少し話し過ぎたかもしれない―――。俊也は話しながら秘密が秘密でなくなる恐怖を覚えていたが、それ以上に生殺しのような現状に耐えられなかった。”
“少しでも次につながる「何か」を聞き出さねばならない重圧が、俊也の身を強張らせた。”
“板長の心の揺らぎを感じ取った俊也の胸の内に、もう少しで状況が変わるかもしれないと期待が募った。”
“「こんにちは!」業者が食材を運んできたのかもしれない。ようやく板長が心を開きかけていただけに、俊也はその間の悪さに臍(ほぞ)を噛む思いだった。

“「まあ、そう焦りなさんな。こういうのは口当たりのいい酒と一緒で、後になって効いてくるから」”

“「よし、今日がほんまの決起集会や。泣いても笑ってもあと三ヶ月弱。石にかじりついてでも特ダネを拾ってこい。以上」”

“水島の情報から特ダネを拾ってきた阿久津に鳥居が、「一応、水島さんに教えてやれ」「あぁ、そうか」「おまえ、完全にネタの出所を忘れてたやろ」「はぁ……」「おっさん、喜ぶぞ」”

”阿久津は白を切るならブツけてみてもいいと判断した。本当に関係がないならないで、遠慮する必要もなくなる。”
“女将が「まだ何か」といった感じで阿久津を見た。プレッシャーを感じたものの、何も得られずに引き返すこともできなかった。

“過ちを繰り返したくないとの思いが、現場に弱い記者の足取りを重くする。”
“相手のペースで会話が進んでいるとの自覚はあったが、決して嫌な流れではない。阿久津はこの波に乗ろうと決めた。
“今一つ詰め切れないことにもどかしさを覚えた。何かもう一つか二つ、次につながる情報が引き出せそうな感触がある。”

“構えられるのはある程度織り込み済みだった。勝負はここからだ。大皿の中を見た阿久津は「流れ」を感じた。

“まだまだ先へ行けるという手応えも感じていた。人間関係は点ではく線だ。金田哲司から広がる線は必ずどこかで誰かとつながっている。根気よく一つひとつ可能性を潰していくしかない。”

“浮かんでくる箇条書きの情報が、刈り上げの男に吸い込まれていく。記者生活の中で何度か覚えた、この焦点光が集まっていく感覚―――。”

“「終わり、終わり。この話はしまいにして」板長はわざとらしく厨房の方を見た。押しの一辺倒では逃げられてしまう。同時に、この好機を逸すれば次はないという重圧が両肩に伸し掛かる。女将というタイムリミットがある中で、阿久津は胃に鋭い痛みを覚えた。”
“「よく覚えてるって言うてはったから…」思わず批判がましい言葉がこぼれ、阿久津は自分でも慌てた。目撃者の勘違いなどよくある話だ。”
“「名前は勘弁してもらいたいねんけど」良心の呵責があるのか、板長は視線を逸らしたまま話し始めた。メモを取り出すと流れを止めてしまうような気がして、阿久津は一言一句を頭に刻み込もうと集中して耳を傾けた。”
“いい流れだと思った阿久津は、相手が話しやすいように言葉を選んで距離を詰めた。ここが正念場だ。”
“手応えがない中で時間だけが過ぎていく。阿久津は必死に質問をつないだ。”

”高揚感が天井を打つと、人間の心は振り子の動きを見せるのかもしれない。異常な昂りと澄み切った心境は今、どちらも阿久津のものだった。”

“一人にしてくれという心の叫びを感じ取った阿久津は、立ち上がって頭を下げた。そして、振り返ることなく歩いて緑の門を抜けた。たとえ後ろ姿でも、見てしまえば後ろめたさを感じる。真実は時に刃になる。それが周囲の人間を傷つけてしまうこともある。しかし、それでも伝えなければならない。突き詰めれば「いい人」で終われる仕事などない。”

“無線の交信記録が手に入ったのも、滋賀県警の特命刑事に辿り着いたのも、粘りの取材が功を奏したと言えなくもないが、やはり阿久津は強い運を感じていた。前回イギリスに来た時には全く見えなかったレールが、目の前に延びている。強力な磁場に吸い寄せられるように、今、自分はレールの上を走っているのだ。”

“頬に浮かんでいた笑みが冷たく引いていき、無言のまま阿久津を見つめた。かなりの圧力を感じたが、視線でその圧を押し返した。”

“「俺らの仕事は素因数分解みたいなもんや。何ぼしんどうても、正面にある不幸や悲しみから目を逸らさんと『なぜ』という想いで割り続けなあかん。素数になるまで割り続けるのは並大抵のことやないけど、諦めたらあかん。その素数こそ事件の本質であり、人間の求める真実や」”

(以上、小説内より)

本作品はフィクションですが、モデルにした「グリコ・森永事件」の発生日時、場所、犯行グループの脅迫・挑戦状の内容、その他の事件報道について、極力史実通りに再現しました、と著者も言っています。
未解決事件の真相を知る為、関係者から証言を得ようとするやりとりは、緊張感が伝わってきた。歴史上の出来事に絡めて進める小説は好きなジャンルですが、「グリコ・森永事件」という自分も実際に知っている事件。より感情移入し、読み進めるうちに辛さ、苦しさを感じたりもした。
読み応えたっぷりの本でした。おもしろかったです。ありがとうございます。
第7回山田風太郎賞受賞。「週刊文春ミステリーベスト10」第1位。第14回本屋大賞第3位。

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